1行紹介

環境教育をしています。今は「こどもエコクラブ」がメインテーマ。

自己紹介文

●1957年 新潟県最北端の村上市で生まれました。
●1964年 小学校入学。猛吹雪の中をスキーで小学校に通ったので歩くスキーは得意ですが、スキーは遊び道具というよりも下駄のようなものです。昔ほど雪が降らなくなったので、正月に里帰りしても雪が無いのが寂しいです。小学生や中学生のころ、学校から帰ってからは勉強した記憶がありません。野良仕事の手伝いをさせられるか、山や川、雑木林の中で遊んでいました。雑木林を伐採し、薪割りをした最後の世代かと思います。
●1976年 新潟県立村上高校を卒業しました。
●1976年 法政大学社会学部入学。東京に引っ越し、環境社会学を学びます。
●1978年 青森県のむつ小川原開発の調査実習に参加。野鳥の定量調査を担当したのがきっかけで、日本野鳥の会に入会。NHKの紅白歌合戦でカチャカチャ数えたこともありますが、悲しいことに日本野鳥の会が紅白歌合戦に出ていたことを知らない人が増えています。
●1980年 大学卒業。広告代理店に勤めましたが、最後の国産トキの捕獲作戦に加わるためすぐに辞めて4月~6月にかけて佐渡に行きました。採卵作戦は不調に終わり、同年11月~12月トキの人工増殖のため、再度佐渡に行きました。
●1981年 文部省に入省しました。最初の赴任地は茨城県つくば市(当時は大穂町)高エネルギー加速器研究機構(当時は高エネルギー物理学研究所)。
●1985年4月 文部省の科学技術関係の研究機関の予算関係の仕事のため、東京に再び戻りました。
●1985年9月 転職のため、文部省退官しました。
●1985年10月 財団法人日本野鳥の会に就職。同年10月~1986年2月の5ヶ月にわたり、福島市小鳥の森でレンジャーの仕事をしました。
●1986年2月 横浜に横浜自然観察の森チーフレンジャーとして赴任。環境教育の仕事をしました。
●1992年4月 サンクチュアリ室長として渋谷に異動となり、川崎市に引っ越しました。
●1996年 日本野鳥の会を退職しました。
●1996年 環境省と国連大学の共同事業「地球環境パートナーシッププラザ」のスタッフとして、官民協働の調査研究・研修・出版等の業務に携わります。
●2008年 恵泉女学園大学准教授と兼任となりました。大学では、ボランティア論、コミュニティ・サービス・ラーニング、自然観察法を担当しました。
●2009年~ 学習院大学法学部非常勤講師として環境政策論を担当しました。
●2010年 地球環境パートナーシッププラザの業務を離れ、恵泉女学園大学教員と財団法人日本環境協会事業部との兼任となりました。事業部では環境教育事業を担当しました。
●2011年 任期満了につき恵泉女学園大学を退任。日本環境協会事業部長として、環境教育、土壌環境対策等の業務を担当しています。
●2011年4月 東日本大震災によって引き起こされた、福島第1原子力発電所の事故による農産物の風評被害に対応する市民ネットワーク「福島の野菜を食べる会」を設立。非営利の八百屋をボランティアで始めました。
●2015年12月 公益財団法人日本野鳥の会監事を拝命。久しぶりに日本野鳥の会のお手伝いをさせていただいています。
●2016年7月 特定非営利活動法人持続可能な開発のための教育推進会議(ESD-J)の理事就任。