相模原で「水俣」を伝える

2010年2月、神奈川県相模原市で写真展「水俣を見た7人の写真家たち」が開催される。主催は「水俣」を子どもたちに伝えるネットワークという小さな団体。

子どもたちに「水俣」を伝える出前授業を主な活動としている。ホームページによれば、2000年に団体が生まれてから今までに200回近い授業を行ってきたという。出前授業だけでなく、今回、地元相模原市で写真展を開催するに至った「思い」を、下のように語っている。

<以下、ホームページから抜粋>
私たち<伝えるネット>は、水俣病事件の事実を知り、その意味を探ることを通じて、
水俣にあえて「  」を付し、「いま」「ここ」の「私たちの街とくらし」の学びと捉え、子ど
もたちとともに学びを深めていく活動に取り組んでいます。
環境問題は、人として生き方を問うものです。「水俣」は、今を生きるすべての人にと
って、その問いへの欠かしてはならない学びを提供してくれています。出前活動を通
じて出会った子どもたちが、そのことを知らせてくれました。
写真を見つめ、耳を澄まし、この街のこと、子どもたちの未来のことを語り合う機会と
なることを願って写真展を開催します。
<引用ここまで>

「水俣」と聞くと、遠い所で、昔の起きた悲惨なできごとを思い浮かべてしまうのだけれど、社会の教科書で習う歴史上の事件のように思ってしまうのだけれど。そうではなく「いま」「ここに」いる私たちの生き方とつなげて考えなければならない。「水俣」を見つめることで、私たちの「未来」を考える機会としよう、主催者は、そのように訴えている。このような問題意識で「水俣」と取り組んだ例はほとんど無い。だから、説明しにくい。でも、やらなければならない。その思いの強さが、この小さな団体に数々の困難を乗り切り、形にする力を与えているのだし、私たちの心を動かす力にもなっているのだと思う。だから、どんな写真展になるのか、今から楽しみにしているのである。

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川本輝夫氏と旗野秀人氏

2009年5月の連休、新潟県阿賀野川流域を訪ねた。毎年この時期に「阿賀に生きるファン倶楽部」という摩訶不思議な団体が主催する水俣病の追悼集会に参加することが目的だ。おたずねしたことはないが、この会には、会則も会費も会員名簿さえないのではないだろうか。それはともかく、2009年は、水俣病事件と命をかけて闘った故川本輝夫氏の没後10周年を記念する内容だったことは、既に書いた。

追悼集会を開き続ける中心人物、旗野秀人氏とあわせて感じたことをつれづれなるままに書いてみたい。

■川本輝夫氏 ~井戸を掘った人~
1950年ころ、不知火海沿岸ではカラスや猫、人間までも狂い死ぬ奇妙な病気が現れた。異変を知った医師が保健所に「原因不明の中枢神経疾患」発生を届け出たのが1956年5月1日。この日をもって「水俣病の公式確認」と言う。当時は原因不明の奇病と呼ばれ、伝染するともいわれたため、被害者は沈黙し偏見や差別と貧困に耐えなければならなかった。

国は被害防止よりも工場生産を優先し、新日本窒素肥料株式会社(現チッソ株式会社)は原因が工場排水にあると知りながら生産を続けた。水俣病公式確認の9年後、新潟県阿賀野川流域でも有機水銀中毒が起こる。新潟水俣病である。不知火海で水俣病を起こしたのと同じ製造工程を持つ昭和電工鹿瀬工場の排水が原因だった。川本氏は、原因を知りつつ操業を続けた企業と、行政の無策が生み出した傷害殺人事件と糾弾した。

「水俣病」は「病気」ではない。チッソという会社の「傷害事件」だ。国や企業が「救済」というのもおかしい。傷害事件に対する「償い」でなければならない。そう言い続け、沈黙を続ける被害者に声を上げるよう働きかけた。そして、東京でチッソの社長を相手に直接交渉を行う。ときに、鋭い論理でたたみかけ、ときには一人の人間と人間として相対しながら語りかけた。水俣に残された家族は川本氏の闘いを支えた。地域で中傷の言葉を浴びせられ、家に火をつけられたこともあったが、あらゆる迫害に耐えた。子どもたちは牛乳配達で家計を助け、貧困もいとわなかった。

理詰めの言動、激しい行動で知られる川本氏だが、今回、土本監督の映像資料とご家族の言葉からその背景を知った。ご家族が持参した1冊の六法全書はおびただしい付箋紙が貼り付けられていた。法律を武器に訴訟を闘い、行政不服申請を重ねたことが裏付けられる。一方、海で泳ぎを教えた父親の思い出を語る愛一郎氏の言葉から、心優しい人柄が感じられる。闘いの激しさは、企業や行政への怒りだけでなく、被害者に向ける優しさから発せられたのだろう。

闘いの戦陣を駆け続けたが、その激しさ・厳しさから理解されないこともあった。皇族への誓願をめぐり、対立したエピソードを盟友、高倉史郎氏が語ってくださった。川本輝夫氏は、水俣病事件の井戸を掘り続け、生涯を閉じた。井戸を掘る人の孤独や辛さも味わいつくしたことだろう。没後10年。「ゆっくりお休みください」と心から声をおかけしたくなった。

■旗野秀人氏  ~“いい加減”を貫く多面体~
若い頃、家業の大工を継ぐのが嫌で、放浪の旅に出る癖があった。沖縄に行く途中、東京で座り込みをしていた川本輝夫氏と出会い、新潟水俣病にのめり込むきっかけとなったことから、旗野氏は今でも川本氏を師とあおぐ。

旗野氏は自らを変化球投手と呼ぶ。本業は工務店だが「阿賀に生きるファン倶楽部」や「冥土のみやげ企画」などを主宰し、新潟水俣病被害者の支援を行う。「支援」などと簡単に書いてしまったが、「旗野さんがやっていることは被害者の支援活動ですよね?」と正面から質問すれば「支援という言葉では表せない」という答えが返ってくるのではないだろうか。しかし、誰かがどこかの席で「水俣病支援団体の旗野さん」と紹介しても、にこにことしているに違いない。そして、酒が1升を越えたころ「あんたは、わかってない」と説教が始まる気がする。それは、彼のおおらかさであり、“いい加減”さである。これだけこんがらがった水俣病問題は速球のストレートだけで勝負できない。良い意味での“いい加減”さが必要なのである。「支援」と言えばわかりやすい。しかし、その活動の本質をつかんだ言葉ではない。本質をつかもうとしても「直球型表現」ではとらえきれない。だから、このブログでは「支援」でごまかす。川本さんは「救済」も嫌った。「水俣病」は病気でなく「傷害事件事件」だとも言った。そのラディカルさは、ストレートの剛速球を投げ込む本格派投手そのものである。

50年余が過ぎた今も、典型的な症状を持たないために水俣病と認定されない被害者は数知れず、未だに国や県を相手に闘い、認定を求めて続けなければならない。2004年には、最高裁判所が「国と県が被害の拡大を防がなかったのは著しく合理性を欠き違法」として、国と県に賠償を命じたが、被害者の苦しみは続き、償いがなされないまま、高齢化した人が亡くなっている。自民・公明の与党プロジェクトチームが最終解決を目指して提出した法案は被害者団体からノーをつきつけられ、未だに出口が見えない。

このような中、旗野氏は工務店と水俣病支援のどっちが本業かわからないぐらいの忙しさで走り回っている。もちろん、水俣病支援は金にならない。たまるのは請求書と領収書ばかりだとぼやきつつ、「好きなことをやっていると思えばこんな面白いことはない。やれることはいくらでもある」と言う。

被害者の支援は「面白い」と言い切った旗野さんは「冥土のみやげ企画」という団体も主宰する。例えば、未認定患者の渡辺参治さんは、歌ってさえいれば、病気の苦しみも和らぐというぐらいに歌が好きだ。旗野さんは米寿の記念に新潟のスタジオを借りてCDを作って、それを売った。ジャケットの写真はかっこ良く、ライナーノーツも素敵だ。渡辺さんは「いい冥土のみやげになった」と満足する。患者・被害者は病気や行政を相手にした闘いに苦しんでいる。しかし、苦しみの日々だけでは救いが無い。「水俣病に罹ってひどい目にあったが、悪いことばかりじゃなかった」、心からそう思える時間を少しでも増やすため、いろいろなことを考える。傑作ドキュメンタリーと評価の高い映画『阿賀に生きる』も旗野さんがいなければ生まれなかった。

患者・被害者の生活の質を高めるような支援活動は、ボランティアが最も得意とする分野に違いない。一人ひとりの暮らしに寄り添いながら、その人が一番輝いて見える舞台を作り、光をあてていく。金にはなりにくいが、やりがいのある仕事に違いない。「面白くてたまらない」という言葉もあながち誇張ではないだろう。

変化球を武器に、いろいろな方向から水俣病問題に切り込む。それが、旗野氏の運動のスタイルだ。来年の5月、阿賀の追悼集会のテーマは旗野秀人氏の還暦祝いだそうだ。全国から大勢の人が集まるに違いない。

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奥阿賀へ

2009年5月4日。朝晴れていた空は次第に暗くなり、天気が心配になるが、あまり気にせず、阿賀野川を遡ることにした。

阿賀野川は遡っても遡っても大河の風格を失わない。その昔は舟運や川漁で栄えたというが、今は観光舟が当時の面影をかすかに伝えているだけだ。さらに、河を遡ると鹿瀬の駅に着く。昭和電工の最盛期には大きな駅だったのだろうが、今は無人で、ときどき2両連結のディーゼル車が通るくらいだ。

Dscn0420 今はもう、昭和電工はこの地から去り、地域経済を支えた企業が撤退した地は過疎化が進む。損害賠償の他にも、昭和電工が果たしうる役割はあるに違いない。しかし、新潟での「もやい直し」の中に、昭和電工の存在感はあまりに薄いように思える。

Dscn0434 鹿瀬駅のすぐ上流に大きな発電所を持つダムがある。豊富な水を電源として利用し、電気化学工業を興したのが水俣のチッソであり、新潟の昭和電工であった。化学工業の主力が、石油化学工業に代わるまで水俣病の被害は封殺されていたのだ。その陰で、多くの人が苦しみ、死んでいった。地域の絆をとりもどすことは、いまだに容易ではない。

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阿賀のお地蔵さんと草倉銅山跡

Dscn0398 阿賀野川の岸辺に2体のお地蔵さまが並んでいる。向かって右側が「虫除け地蔵」。 野良仕事をする人たちが、ツツガムシがつかないように祈ったという。左側に立つのは、水俣川から運んだ石に刻んだお地蔵様。このお地蔵様が目を向ける先には水俣があり、そこには、阿賀の石に彫ったお地蔵様が鎮座する。お地蔵さまを水俣病問題のモニュメントとするアイデアは川本輝夫さんの発案だという。水俣と阿賀がお地蔵様でつながっている。

Dscn0436 そして一昨年、阿賀野川の石で、もう一体のお地蔵様が彫られた。そのお地蔵様は、渡良瀬川に旅立った。渡瀬は足尾銅山鉱毒事件の地である。足尾銅山鉱毒事件もまた「日本の公害の原点」と呼ばれる。足尾銅山で甚大な被害を引き起こした古河は、阿賀野川を見下ろす草倉鉱山で利を得て、足尾に進出した歴史がある。足尾と阿賀野川は、古河による鉱山による被害地域という意味でもつながっていたのだ。しかし、草倉鉱山に当時をしのぶものは石積みなどわずかしか残されていない。

当時、6千人を超える集落がこの地にあったことを知る手がかりはあまりに乏しく、百余年の歳月の流れを感じるだけだった。

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2009年追悼集会「阿賀の岸辺にて」

●2009年5月4日
●新潟県新潟市(旧安田町)

半年前の記録を今頃出すので気が引けるとは思いつつ。最近、水俣のことを書きたくなるようなできごとが続いたので、今年の5月のことを書きます。

「阿賀に生きるファン倶楽部」が毎年、5月の連休に新潟水俣病の追悼集会を行っている。2009年は、5月3日の前夜祭に始まり、5日の現地見学会に至る3日の日程。

メインの4日は、新潟県内はもちろん、東京、京都、熊本、大阪、茨城、栃木などなど全国から100人ぐらいの人が集まっての催し。

映画『阿賀に生きる』の上映、そして、水俣病事件に命をかけて闘った川本輝夫氏の没後10年を記念して、水俣の実相を活写し続けた映画監督・土本さんの未公開フィルムも加えて編集した映像集『回想・川本輝夫 ミナマター井戸を掘った人』を見ることができました。奥さんの土本基子さんもいらっしゃって、映像にかけた土本さんの思いをとつとつと、しかし明晰に語っていただきました。水俣病を「傷害事件」として告発し、被害者を掘り起こし、後生まで伝えるための活動をエネルギッシュに闘った川本さんを「井戸を掘った人」というキーワードで伝えていました。

Dscn0332_2 >次のプログラムは、水俣からお招きした川本さんの奥さんと長男の愛一郎さんのお話をお聞きできました。水俣病の語り部として、各地でお話しする機会は多い2人ですが、今回はこの行事のプロデューサーである旗野さんの司会で、川本さんと家族との絆を浮き彫りにすることから「闘士・川本輝夫さん」の素顔が伝わり、激しい闘いの源に優しさや人間味があると実感できました。合掌。

Dscn0354

プログラムの最後を飾るのは、恒例の演芸大会。金子真由さんが三味線でごぜ歌を聴かせれば、渡辺参治さんがバックダンサーを従えて、良い声で民謡を歌ってくれる。そして、大阪からかけつけた「大阪網かけ一座」が相撲甚句でエールを贈るという趣向。水俣のほっとはうすからいらっしゃった長井さんも楽しんでいました。これで、一幕の終了ですが、本番はこれから。一行は咲花温泉柳水園に移動すると、大交流会の幕開け。

Dscn0387 大阪の一座が「前座」をつとめると、渡辺参治さんが続き、土本基子さんまでもが自慢の喉を聴かせてくださった。飲み、歌い、語り、最後の一人が布団に入ったのは午前5時だったそうです。

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特別展「よみがえる浮世絵-うるわしき大正新版画」

Koumoriyasu_2 江戸東京博物館では、「新版画」の作品・資料約250点を展示する企画展を2009年9月19日(土)~11月8日(日)に開催しています。面白そうなので行って来ました。

ほんとうに面白くて、すっかりはまりました。

ヨーロッパで印象派の画家を驚嘆させた浮世絵は明治になって舶来モノがもてはやされる世の中になったせいか一時、絶滅寸前まで追い込まれたそうです。日本の伝統芸術である木版画の技法を復興し、新たな芸術を生み出そうとようとする運動が大正から昭和初期に起こったらしいのですが、単に浮世絵のまねごとをするのでなく、浮世絵の技法がさらに高度化し、芸術性をさらに高めようとする並々ならぬ息吹が伝わるような展示内容でした。

例えば、見物に行った10月25日には、本職の「刷り師」が実演していました。版を何回も何回も変えて、色を重ねていく様子を感嘆の思いで見ました。芝の増上寺を刷り上げた過程が実物の版木やビデオ映像で紹介されているコーナーもありましたが、42回も刷りを重ねることで深みのある表現が生まれたことが実感できます。思わず「こりゃすごい!」。

Kami 役者絵や美人画、風景画など、江戸期の浮世絵の伝統を踏襲しつつも、表現はずっと新しくなっています。例えば美人画。浮世絵では定番の面長の顔に細いつり目の「美女」でなく、今の人が見てもぞくりと来るような美人として描かれています。役者の表情にも深みがあるように思いました。

そして、着物から透けて見える肌の艶っぽさ、川に入れた手が水を透かして見える美しさなどは、木版画でなければ到底かなわない表現だと思いました。機会があれば、また見たい展示です。

江戸東京博物館は、常設展も工夫が凝らされていて面白いのですが、残念ながらわずかな時間しか見ることができませんでした。また、今度行こうと思っています。

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越後妻有(つまり)トリエンナーレ 2009

Dscn1109 2009年のお盆もあけた8月19日。ちょっと暑い日、越後妻有(つまり)で開催中の「大地の芸術祭」に行って来ました。新潟出身なのに北のはずれの生まれ育ちなので、十日町に行ったのは生まれて初めての経験。

現代芸術を鑑賞する能力はゼロなのに、何のために行ったのか? まじめに言うと地域社会へのインパクトがどんなものなのか興味があったので。ヤジウマ気分の方が勝っていましたけれど。

  同じ現代芸術でも、近江八幡の「ボーダレス・アートミュージアムNO-MA」
  はものすごくおもしろかった。障がい者の「芸術」は芸術であって芸術で
  はないと禅問答のようなことを感じいったのです。この話もおもしろいの
  ですが、長くなるので、またいずれ

いろいろと驚いて来ました。

Dscn1117 まず、あまりに山の中だったのに驚きました。関越道のインターを降りて、走っても走っても会場に着かない。いったい、どこなんだと探してようやくたどり着きました。パンフレットの地図がデザインに凝りすぎて、実用性が犠牲になっているのも原因の一つかもしれません。

それから、会場(?)があまりに広いのにびっくり。パンフレットによれば「琵琶湖」ほどの面積の場所に作品が点在しているのだそうですからとてつもない広さです。スタンプラリーみたいに、そこを全部回る人がいるのですからこれまたびっくり。タクシーを借り切って回っている人にも何人も出会いました。地元の人の関わりも驚き。一番最初に行ったメイン会場(?)である松代(まつだい)では、現地のおじさんが案内係をやっていて、何にもわからない私の質問に懇切丁寧に答えてくださいました。

Dscn1146 絵本作家で有名な田島征三氏が廃校になった小学校をまるごと使った作品を展示していました。今回は、ほとんどこの作品を見るために行ったようなものです。その作品自体が「過疎地」を応援するメッセージになっているように、地域とつながったコンセプトの作品が多いのも特徴でしょうか。その会場の受付はこの小学校の卒業生だそうです。そのおじさんも、作品について長すぎず、簡単過ぎない適切な案内をしてくださったのも印象深かったところです。地域との結びつきを意識して作ってあること、この芸術祭に地元の人がずいぶんかかわっているんだなあ、と感心しました。(NHK教育TVの日曜美術館で紹介していました)

若い人(特に女性)がずいぶんたくさん来ているのにびっくりしました。
 注:若い女性が目立ったのは、私がオジサンだからではないと思います(笑)。

Dscn1099 このようなお祭りがなければ、過疎・高齢化の進む、他と変わらない田舎町であったり、寒村なのでしょうが、この芸術祭を楽しみに、たくさんの人が集まることが一番驚いたことかもしれません。ここに来るだけでかなりの交通費が必要だし、屋内会場を回るには大人1枚3500円の「パスポート」が必要なのですが、それでもこれだけ人がにぎわっているのですから、集客力のすごさを実感。あ~などとも思いました。

それから、それからまたまたびっくりするのは、なんと、並行して新潟市で「水と土の芸術祭2009」なるイベントをやっていたことです。こちらは、今年が初めてで「日本海側唯一の政令指定市」である新潟をアートの力でアピールしようということのようです。

新潟市全域に点在する芸術作品を見て歩くという形態が「大地の芸術祭」とそっくりなのがびっくり仰天。それもそのはず、どちらも仕掛け人は新潟市美術館館長の北川フラム氏。同じ人物がプロデュースするのですから、同じようなものができるのは当然としても、同じ時期に新潟県内で2つ同時にやるというのがワカラン。北川氏の政治力のたまものでしょうか。

妻有についてもう一つだけ書き加えておきますと、大学3年になった娘が芸術作品の隣で、おばあさんが干瓢を干している様子を見て「作品よりも、干瓢のほうがきれいだと思う。トリエンナーレの価値は、農家の暮らしの中にある美の再発見にあるのではないか」などと言っていました。大学生の分際で偉そうなことを言いやがってとお思いでしょうが、農学部の学生の言うことですから許してやってください(笑)。

大地の芸術祭が農家の人の暮らしと芸術家や芸術好きの人をつなぐことができている様子を見ると、そういう価値もあるだろうとちょっと思いました。

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参加と協働のデザイン―NPO・行政・企業の役割を再考する

Sankakyodo ■書名 参加と協働のデザイン―NPO・行政・企業の役割を再考する
■編著 世古一穂
■発行 学芸出版社 (2009/10/8)
■価格 2,625円(税込み)

編著者である世古氏は、これまでに「市民参加」や「協働」をテーマとした著書を数多く執筆してきた。この本は、今までの知見をもとに、最新の課題・動向を加えてわかりやすくまとめた教科書として読みやすい書物となっている。そもそもNPOとは、そして協働とはいかにあるべきか?という根本的な問いかけに対する答えがわかりやすく書かれている。一読して「我が意を得たり」と膝を打つ人も少なくないはずだ。

帯に「NPOの下請化にNO!」とあることでわかるように、NPOや協働をめぐる現状に対する強い問題意識からこの本が生まれた。世古氏は金沢大学の教授であるが、日本のNPOの黎明期から最前線に立ち、道を切り開いて来た人である。根っからの活動家だからこそ、説得力のある理想像を描き、それに至る道筋も明確に示すことができるのだろう。同じことが共著者にも言える。現場を良く知る人たちが、法制度や社会の仕組みという視座から俯瞰してくれるので、非常に見通しの良い章がある。理想の協働の姿は高い峰のように私たちの前に立ちはだかっているが、理想像を見失わないために、そして一歩でも二歩でも前進を続けるために、道しるべとして、そして道具として必携の1冊である。

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農山村再生 「限界集落」問題を超えて (岩波ブックレット)

Nousanson ■題名 農山村再生 「限界集落」問題を超えて (岩波ブックレット)
■著者 小田切 徳美 
■発行 岩波書店 (2009/10/7)
■価格 480円+税

「限界集落」は好きになれない言葉だ。衰退した地域に降りかかる諸問題を強い表現で示すことで、課題を浮き彫りにした「効」がある。反面、あまりに身も蓋もなさ過ぎて、そう言われてしまったら立ち上がる気力も失せるだろう。その思いを、たったの63ページ、480円のブックレットで的確に書いてくれた研究者がいた。

第1章では、農山村の現状を「土地の空洞化」「むらの空洞化」そして「ほこりの空洞化」というキーワードを用いつつ、わかりやすいデータをもとに語る。そして第2章では、著者の豊富なフィールドワークから得られた農山村の再生事例に基づいて、説得力のあるコミュニティ再生のポイントが語られる。第3章は、いわゆる「限界集落」問題への対応策が提示される。著者は言う。「限界集落」は単純に高齢化率や世帯数だけで生まれるのではない、と。もっと自分の目と耳で現場に触れることが重要なのだ。「限界化」に取り組む鍵は「誇りの空洞化」を止めることにある、と著者は言う。「何をやってももうだめだ」と住民に諦観が生まれたときから限界化が進む。「諦めたら、そこで試合終了だよ」とどっかのオジサンも言っていた。地元学で有名な吉本哲朗氏は「頭の中にシャッターを閉ざすからシャッター商店街になる」と言った。その言葉を借りれば「頭の中に限界をこしらえたときから限界化が進む」のだろう。行政が、よそ者が、若者が、常に集落を見つめ手を携えて地域に入ることで限界化の防止につながる。

最後の「まとめ」に書かれた言葉もかみしめて読みたい。中山間地域のみならず、日本全国でコミュニティの衰退を促したのは小泉内閣の中で急激に進んだ「構造改革」であり「経済のグローバル化」である。恐ろしいと思ったのは「内発的発展」の概念すら地域に対する政治の無頓着を正当化するロジックとして使われた、との指摘だ。地域を越えて国レベルでの地域再生のグランドデザインが問われている。我々には、地域を変える力と同様に政治を変える力も重要だ。

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Autorun.infを使ったウィルス駆除に悪戦苦闘

職場のPC10台のうち5台が、流行中のUSBメモリが媒介するウィルスに感染し、復旧にまるまる4日かかった。

ウイルスバスター、ノートンインターネットセキュリティ、ゼロの最新版でスキャンしたが、いずれも駆除は完全にはできなかった(2009年7月1日現在)ため、4台についてはOSの再インストールを行った。

残りの1台について、手動駆除を試みたのでその経過を公表する。

昔良く使ったコマンドラインから削除するもので、効果は抜群だが、一つ間違えるととんでもない結果を招く。MS-DOS時代からパソコンでシステムを改造していた人ならなんとかなるのではないかと思う。

■1■感染したウィルスの例

名前がわかったのは以下がある。ただし再インストールしたため、感染していながら名前がわからなかったウィルスも多いと思われる。

4tddfwwq0.dll,xvassdf.exe,um.exe,qrqkynb0.bat,ju.com,52f55.mst,q8ot.com,2tq.exe,ykvqe2n.com, xvassdf.exe,3m2.exe,2w2.com,ierdfgh.exe,mmvo.exe,revo.exe

■2■症状

感染したPCに見られる症状の例。どのウィルスによるものかは特定できない。

(1)パソコンの動作がやたらと遅くなる

(2)Cドライブ、Dドライブが開かなくなる。開こうとすると、セキュリティソフトが警告メッセージを出すこともある。(ドライブのダブルクリックでなく、エクスプローラからなら開く。)

(3)インターネットにつながらない、windowsが立ち上がらなくなるなどシステムファイルの破損に起因するトラブルが起こる

(4)「システムリソース不足」というエラーメッセージが出て、PCが動かなくなる。

■3■検出方法(初心者用)

セキュリティソフトが検出してくれないので、手動でやるのが今のところ一番確実。

(1)マイコンピュータ を開く

(2)Cドライブをダブルクリック

  ・これで変なメッセージが出てドライブが開かなければ確実に感染。ただし、開いても安心できない。

(3)「ツール」→「フォルダオプション」を開く

(4)「表示」のタブを開く

(5)「すべてのファイルとフォルダを表示する」にチェック

   通常は「隠しファイルと隠しフォルダは表示しない」になっている。

(6)「保護されたオペレーティングシステムファイルを表示しない(推奨)」

   のチェックをはずす

  ※「表示すると危険」という意味の警告メッセージが現れるが、無視して

   「適用」→「OK」のボタンをクリック

(7)Cドライブの中に、今まで見えなかったファイルが10ぐらい出てくる。

  ※全く出てこなかったら確実に感染している。ウィルスが自分自身を隠すため、不可視の状態を保っている。

  ※AUTORUN.INFが出てきたら確実に感染。(ただし、AUTOEXC.BATはウィルスでは無い。)

■4■検出方法(中~上級者用)

コマンドをいちいち打ち込まないといけないので、多少面倒だが、使うのはattribdirの2つのコマンドだけ。ファイルを破壊する心配はないので初心者でもその気があれば試す価値あり。

(1)「スタートメニュー」→「ファイル名を指定して実行」→「cmd」と入力

(2)「c:\******\******>」というコマンドプロンプトが出てくる。*****の部分はシステムによって異なる。

(3)cd \ と入力すると、コマンドプロンプトが「c:\>」に変わる。

(4)attrib と入力すると、Cドライブのルートの中の隠し属性やシステム属性がついて見えないファイルが見える。autorun.infがありSHRの属性がついていたら、感染している。attribは、ファイルの属性を見たり、変えたりするコマンド。属性を変更すると面倒なので、ここでは属性を見るだけの用途で使用する。

(5)type autorun.inf と入力すると下のような文字が出てくる。「***」の部分は、いろいろなファイル名が入る。また、comでなくexeなどになることもある。

open=***.com
shell\open\Command=***
.com

(6)autorun.infが見つかったら、Cドライブ(とDドライブ)のどこかに、ウィルスが潜んでいる可能性が大きい。次に、全てのディレクトリからsystem(システム)、hidden(隠す)読み取り専用(read only)属性のついた、ファイルを探す。

dir /a:s /a:h /a:r > shr.txt と入力する。

dirは、ファイルやディレクトリのリストを得るためのコマンド。dirと入力しただけでは、隠しファイルやシステムファイルは見えないので、/aのオプションを付け。

(7)Cドライブのルートに「shr.txt」というテキストファイルができているので、メモ帳などテキストエディタで開く。

(8)隠し属性やシステム属性の付いたautorun.infが見つかったら、typeコマンドで、全てのautorun.infの中身を見る。その中に書いてあるファイルはウィルスである可能性が高い。

(9)同じ方法をCドライブ以外(USBメモリやUSBハードディスクなど)でも試して見る。

(10)日付が近いものや不審な名前のものはウィルスである可能性があるが、間違えて本物の「システムファイル」を削除すると、重大なトラブルにつながる可能性がある。

■5■削除(上級者用)

「セーフモードで立ち上げる」「ネットワークから接続をはずす」「システムの自動復元機能をオフにする」など基本的な操作を行った上で、コマンドでまとめて削除。

★警告★この操作は「システムファイル」を削除する。コマンド入力に不慣れな人、MS-DOSの基礎的なことがわかっている人以外はしない方が安全。最悪の場合システムが壊れても良いという覚悟がある人、下の説明を読んですぐに自分でできそうだと思う人なら試す価値はある。

(1)使うコマンドは、attribdelの2つだけ。下の例にならいbatファイルを作り自動実行する。2w2.comとか、2qt.comが削除する対象。検出されたウィルスを全部書く。

attribで不可視属性、システム属性、読み出し専用属性をはずす。次に、delで削除する。

/sスイッチは、サブディレクトリにも同じ操作をするために使う。ルートから実行すると、ディレクトリを全部見に行く。

attrib /s -h -s -r 2w2.com

del /s 2w2.com

attrib /s -h -s -r 2qt.com

del /s 2q t.com

attrib /s -h -s -r 4tddfwwq0.dll

del /s 4tddfwwq0.dll

   .

   .

   .

pause

これを適当なファイル名(例:kilv.bat)で、ルートディレクトリに保存し、実行。

(2)実行した後、リブートして「初心者向け検出方法」を試す。これで、隠しファイルを見ることができるようになっているはずだが、それでも消える場合は、未知のウィルスが残っていることになる。「上級者向け検出方法」で見逃したファイルがあるか、または、SHRの属性を持たないファイルである可能性も捨てきれない。

■6■予防

autorun.infの自動実行を停止する方法を紹介したサイトがいくつかあり、ほとんどを試してみたが、XP環境で絶対と言えるものは見つかっていない。win2000は自動実行停止効果が高いような気がする。

ダミーのautorun.infのフォルダとファイルをあらかじめ作っておくのが有効と書いたサイトもあるが、上書きされてしまう可能性もあり、絶対とは言えない。

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