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2009年4月

埼玉大学の学生が水俣を伝える

Simgp0546 ●私たちが見た水俣を等身大で表現する
●日時:2009年3月31日18:30~
●場所:浦和PARCO 9階コムナーレ 第15集会室
●主催:埼玉大学教育学部コラボレーション教育専修・水俣合宿2008

3月21日午後、埼玉大学の学生からメールが届いた。3月31日に、合宿で学んだ水俣の姿をたくさんの人に伝える会を開くので参加して欲しい、という趣旨だ。よりによって年度末、しかも10日前というのは突然だなあ、と文句を言う資格は、私には絶対にない。昨年年の7月、私の職場で「学生が伝える水俣」という企画を立てたときに、彼らに出演を依頼した。期末試験が終わったか終わらないか微妙な7月末。しかも、開催日の1週間前に突然のお願い。断られるのが当たり前の状況にもかかわらず、二つ返事で引き受けてくれたうえにすばらしいプレゼンテーションを披露してくれた。今こそこの恩に報いなければ、と駆けつけた。

会場に入ってまずびっくり。多くても数十人規模だろうと予想していたが、150人くらいの人が集まっていた。大学の関係者が多かったのかもしれないが、水俣病を伝えるイベントでこれだけの人数を集めたのは立派。内容もすばらしかった。水俣の表現者は数多いが、新世代の表現者が登場した現場に立ち会えたことが、ほんとうにうれしかった。

去年も、歌、映像、語りを組み合わせたプレゼンが見事だったが、今回は、さらに動画の映像や、寸劇や朗読まで加わっている。表現の深みが増して、水俣の歴史・現在をわかりやすく伝えていた。私は、フォークソングが「プロテストソング」の時代に感化された世代なので、今でも、ああいうセンスの学生がいることに驚いた。埼玉大学の表現者たちも同じような感覚を持っていることがわかって、ほんとうにうれしくなった。

第4部は、この集まりのために、お招きした鹿児島県出水市から水俣病の患者さんと、お子さんの、お話。「水俣病被害者の救済及び水俣病問題の最終解決に関する特別措置法案」が国会に提出され、被害者とその支援者から猛烈な反発を受けた直後であるだけに、患者さんの話には熱がこもっていた。

このイベントにかかった費用は約20万円、資金調達も自分たちでやったという。プログラムの最後は、カンパの呼びかけだった。どこまでもあっぱれな学生の仕事だった。その夜は、若い水俣の表現者の成長を祝って乾杯する席に加わりたかったが、自宅まで遠いので、わずかばかりのカンパをして、その場を去ったのがかえすがえすも残念だった。できることなら、あの気持ちの良い学生たちと、水俣の現場で飲み交わしたいものだ、と帰りの電車の中でしみじみ思った。

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三月坊主

Dscn0141去年のクリスマス、当時中2の娘がサンタさんかららギターをもらった。吹奏楽部でサックスを吹いている。さらにギターをやりたいというので、感心したサンタさんが奮発したのだろう。入門用の安い楽器だが、2万円近いはずだ。

大喜びした娘、1週間くらいは教則本とにらめっこで、練習していたが、そのうちやらなくなった。

「すごく難しいんだもの」と言う。楽譜すら読めなかった、素人が2年ほどでサックスが吹けるようになり、最近はソロもやるぐらいだから、ギターもすぐに覚えるだろうと思っていたのにこのていたらく。

「じゃあ、オレがやってやる!」と怒った父親は、音感無し、リズム感無し、音符読めないの3重苦に加えて、手先の不器用を加えた4重苦である身の上を忘れて、1月からギターの練習を始めた。C~Bまでのメジャーコード8つにマイナーコード8つ、それに、セブンスコードを加えたとしてもコードの数は24。たかがしれている。1日に1つずつコードを覚えたとしたら、1ヶ月でコードストロークぐらいはできるに違いない、と考えたが、素人の浅はかさと言う他はない。

やってみて驚いた。Cコードさえまともに鳴らない。Fコードなどは夢のまた夢。とうてい人間の指で押さえられるとは思えない。20分もやったら、左手の指が痛くなって、おさえられなくなった。Cコードがなんとかそれらしい音になるまで1週間。「比較的簡単」と言われたAコードは10日たってもまともに鳴らない。「こんなはずではなかった」と思ったが後の祭り。大見得をきった手前「三日坊主」にだけはなるまいと決心して「1日には1時間以上練習しない、たとえ10分でも毎日やる」 ことにした。

それから3ヶ月、3月末までは最低1日10分のノルマをこなし続けていた。多少チューニングが狂っても引き続けて、4~5つのコードはどうにか弾けるようになったが、コードチェンジまでの道は遠い。とうとう音痴の私でも許せないぐらいにチューニングが狂ったのが引き金となり、年末年始の多忙にまぎれて、もう1ヶ月も楽器にさわっていない。三日坊主にはならなかったが、3ヶ月坊主の汚名を負って生きることになるのだろう。ギターは今、押し入れの奥で眠っている。

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(続)ソウル・フラワー・ユニオンとの出会い

前の書き込みで、バンドの名前を間違えていると、指摘のコメントをいただいた。たいへんに申し訳ありませんでした。すぐに記事タイトルを修正しました。

あらためて、ソウル・フラワー・ユニオンは良いですね。ノリノリのロックなのに、アイルランド風のサウンドに沖縄風の間の手が見事に融合していたりするわけで、今までに聴いたことのないまか不思議な味わいを出しています。沖縄サウンドや社会的メッセージ性では、喜納昌吉やネーネーズとも共通するのですが、他の土着音楽とのまぜこぜの度合いは、SFUが一枚上手とみました。沖縄出身でなく、大阪という猥雑で陽気で、活気のある街で生まれ、育ったことと関係があるのかなあ、などと思いました。

ぼくに「音楽性」を云々する能力は全然ないのだけれど、聴いていて、気もちにグサグサとつきささってくるリズム、メロディ、そして歌詞。たとえば、『ロンドン・デリー』は、ごきげんなのに、歌詞は毒がたっぷり。大英帝国によるアイルランドの支配とか抑圧の歴史を知りたくなります。

東ボラの情報誌『ネットワーク』で、辛淑玉はSFUを評して「日本の演歌はダメだが、もし生き残る演歌があるとすればSFUだ」と述べたことがあると知りました。

「演歌」はもともと、歌で政治的思想をわかりやすく表現する手段だったわけで「演説」と同じようなものだったらしい。川上音二郎の『オッペケペー節』が有名ですね。笑い、涙、怒りなど、庶民の気分をアジりながら楽しませてくれる歌、それが「演歌」のもともとの意味。だと、すればSFUの歌はホンマモンの演歌でしょう。私も納得でした。

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『反貧困 いま、「反撃」のとき!』

Book4

●反貧困 いま、「反撃」のとき!
●東京ボランティア・市民活動センター編・発行(2009年3月)
●A5判 56ページ 600円(税込)

東京ボランティア・市民活動センターの情報誌『ネットワーク』の対談記事はときどきびっくりするような人が出てくる。

湯浅誠×雨宮処凛の対談は、2008年1・2月号~5・6月号の3回にわたって掲載された。格差社会、ワーキングプア問題などのオピニオンリーダー的存在だった2人の対談が興味深かった。

それから1年、事態は劇的に悪化。2008年に顕在化したアメリカ発の金融破綻が引き起こした不況によって、一夜にして収入と住所を失う派遣労働者が激増した。湯浅氏は、12月暮れ、日比谷公園に「年越し派遣村」と称する救援拠点を設置し、寝食の場を提供していた。

このタイミングで、1年前の対談をブックレットとして発行した東ボラの先見の明は凄いと思う。『ネットワーク』誌に3回掲載された対談に、2人が前書きを添え、巻末に関連資料を掲載している。前書きで雨宮が「1年前はまだ牧歌的だった」と述懐し、状況の悪化を指弾している。

他の人の犠牲の上にしか「繁栄」を築くことのできない社会を変えなければならないのだが、その出口はどこにあるのだろう。一つの回答が「ボランタリズムを興すことだ」と東ボラは主張している。

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ソウル・フラワー・ユニオンとの出会い

Sfu 東京ボランティア・市民活動センター(TVAC)発行のボランティア・市民活動情報誌『ネットワーク』2009年3・4月号に、辛淑玉×中川敬対談という記事があった。うかつにも、中川敬氏を知らなかったため「何でロックミュージシャンがボランティア情報誌に出るのかな?」と疑問に思った。でも、辛氏がべた褒めするぐらいだから、相当な人物に違いないと、早速CDを1枚購入。最新版でなく、『WINDS FAIRGROUND』を選んだのは、試聴で最初の曲が気に入ったため。

曲に土着の味わいがある。アイリッシュであったり、沖縄であったりする。歌詞にも、マイノリティへの強い思いれが感じられる。You Tubeで検索すると、阪神淡路大震災の1ヶ月後に、被災地で歌ったときの思い出を語った映像が見つかった。いろいろ探しているうちに、いろんなところに出かけて行っては歌を歌い、そこにいる人達を元気づけていることもわかってきた。正統派の社会派ロックの継承者ということになるだろう。何よりも、徹底した現場主義がすごい。東京ボランティア・市民活動センターの情報誌に載るだけのことはある、と納得。

『ネットワーク』誌では、両者の対談が連載されるらしい。次回は「怒りの方法」がテーマとか。一段とヒートアップしたお話に期待!

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早春の王禅寺散歩

Springpark06 2009年1月25日(日)。今年の冬はずいぶん暖かい。新潟県の北のはずれにある実家に電話しても「1回も雪下ろしをしなかった」と言う。年寄りだけの世帯なので、ずいぶん助かったらしい。春の訪れも早いらしく、ぽかぽかの陽気に誘われて、近所の王禅寺とその近くの公園に散歩に出かけた。ジョウビタキのオスが、ヒッヒッカカカと飛び去った下の地面には、ジョウビタキのフンではなく、フキノトウが芽を出している。ああ、おいしそう! と採ってはいけない。

Springpark05 ここも「フキノトウ畑」なのだ。地目も「山林原野」でなく、「農地」になっているに違いない。フキノトウはかなり粗放でも作れるだろう。農家の方がフキノトウを収穫して売っている。無人販売所にお金を入れて、フキノトウを買う。その他にも、新鮮な野菜があったので、ついでに買う。都市農業は直売でかなり売れるのが強み。それにしても、フキノトウは今年初めて。今夜は天ぷらを作らないわけには行きません。フキノトウには「雄花」と「雌花」があり、花粉の無い雌花のフキノトウがおいしいというのが一般的な評価らしいですが、私は苦みの強いのが好き。少し開きかけているぐらいの雄花をほおばったときに、口に広がる苦さが良いです。

Springpark01 ふらふらと歩くうち、王禅寺の境内に入る。真っ赤な腰巻き(?)に包まれているのはどなたでしょう。左手に剣らしきものを持つ立像は、不動明王らしいのですが、写真を良く見ると、顔が1つで、手が4本あるようにも見えますね。良く観察してくれば良かった。さほど、仏像に詳しくないので、あまり気に掛けなかったのです。でも、赤い腰巻きをめくって、仏さまの素性を確かめるというのも、バチあたりな気がします(笑)。足下には、お賽銭が置いてありました。

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千葉県神崎の発酵まちおこし

Imgp0306 2009年3月15日。千葉県香取郡神崎町に行った。町は利根川の右岸に面し、川向こうは茨城県。人口約7,000人の小さな町だが、造り酒屋が2件もある。昔から醸造や舟運が盛んな土地らしい。「お蔵フェスタ」という町おこしのイベントは、ものすごい人出。公式発表では2万人。どうやって数えたかわからないが、人をかきわけながら歩かなければならないほど混雑していたのは確か。造り酒屋の一つ、寺田本家の周辺は、テントが立ち並び、有機農産物、フェアトレード商品などを売る店が並ぶ様子は、代々木公園で毎年4月に行うアースデイのようだった。

Imgp0303 寺田本家では、酒や酒粕の販売の他お蔵見学会、中庭のコンサートも行われて、おおいににぎわっていた。楽しみにしていた酒を2本買うのも、人波をかきわけ、かきわけての難行苦行。うちのカミさんは自家製パンを焼くための、酒粕がめあて。新鮮な酒粕は、生きた酵母がうじゃうじゃいるらしい。パン種を起こさなくても、そのまま発酵させて焼けるのだという。酒づくりの酵母でパン生地を発酵させて焼いたパンがどんな味になったかは、また別の機会に報告します。

Imgp0295 人の多さに圧倒されて、蔵の見学はあきらめたが、昔の醤油醸造場が公開されていた。お祭りの中心地から少しはずれているせいか、人通りが少なく、落ち着いて観られるのが良かった。最近は、醸造はせず、醤油を売るだけだそうだが、昔の設備がそのまま残っていた。店の主が、昔の舟運のことなどを話してくれた。利根川が町のすぐそばを流れていて、その川縁に蔵が建ち並んでいたという。茨城や千葉は昔から醸造が盛んだが、豊富な水と穀物を使った発酵食品がいたるところで作られて、川沿いに江戸まで運ばれていたのだろう。

Imgp0340 買ってきた酒は、この2本。右は、無濾過の原酒。割水もしていないので、白く濁り、アルコールも若干高め。少し発泡てしている。ほんのりと甘く、酸味を感じる味は、韓国で飲んだ百歳酒にちょっと似ている。左は「発芽玄米種」。玄米で作ったものなので、いわゆる「清酒」ではないらしい。発泡性が強く、うかつに栓をひねると、泡が吹き出た。注意書きを読むと「ゆっくりと開栓する」ように書いてある。飲んでみると、酸味が強い。日本酒の味を期待して飲んだので「何だこりゃ?」と思ったが、全く別ジャンルの酒なので、こういうのもあって良いとは思う。いろいろな酒造りに挑戦する姿勢は、掛け値無しに凄いと思う。

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