環境という仕事

相模原で「水俣」を伝える

2010年2月、神奈川県相模原市で写真展「水俣を見た7人の写真家たち」が開催される。主催は「水俣」を子どもたちに伝えるネットワークという小さな団体。

子どもたちに「水俣」を伝える出前授業を主な活動としている。ホームページによれば、2000年に団体が生まれてから今までに200回近い授業を行ってきたという。出前授業だけでなく、今回、地元相模原市で写真展を開催するに至った「思い」を、下のように語っている。

<以下、ホームページから抜粋>
私たち<伝えるネット>は、水俣病事件の事実を知り、その意味を探ることを通じて、
水俣にあえて「  」を付し、「いま」「ここ」の「私たちの街とくらし」の学びと捉え、子ど
もたちとともに学びを深めていく活動に取り組んでいます。
環境問題は、人として生き方を問うものです。「水俣」は、今を生きるすべての人にと
って、その問いへの欠かしてはならない学びを提供してくれています。出前活動を通
じて出会った子どもたちが、そのことを知らせてくれました。
写真を見つめ、耳を澄まし、この街のこと、子どもたちの未来のことを語り合う機会と
なることを願って写真展を開催します。
<引用ここまで>

「水俣」と聞くと、遠い所で、昔の起きた悲惨なできごとを思い浮かべてしまうのだけれど、社会の教科書で習う歴史上の事件のように思ってしまうのだけれど。そうではなく「いま」「ここに」いる私たちの生き方とつなげて考えなければならない。「水俣」を見つめることで、私たちの「未来」を考える機会としよう、主催者は、そのように訴えている。このような問題意識で「水俣」と取り組んだ例はほとんど無い。だから、説明しにくい。でも、やらなければならない。その思いの強さが、この小さな団体に数々の困難を乗り切り、形にする力を与えているのだし、私たちの心を動かす力にもなっているのだと思う。だから、どんな写真展になるのか、今から楽しみにしているのである。

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川本輝夫氏と旗野秀人氏

2009年5月の連休、新潟県阿賀野川流域を訪ねた。毎年この時期に「阿賀に生きるファン倶楽部」という摩訶不思議な団体が主催する水俣病の追悼集会に参加することが目的だ。おたずねしたことはないが、この会には、会則も会費も会員名簿さえないのではないだろうか。それはともかく、2009年は、水俣病事件と命をかけて闘った故川本輝夫氏の没後10周年を記念する内容だったことは、既に書いた。

追悼集会を開き続ける中心人物、旗野秀人氏とあわせて感じたことをつれづれなるままに書いてみたい。

■川本輝夫氏 ~井戸を掘った人~
1950年ころ、不知火海沿岸ではカラスや猫、人間までも狂い死ぬ奇妙な病気が現れた。異変を知った医師が保健所に「原因不明の中枢神経疾患」発生を届け出たのが1956年5月1日。この日をもって「水俣病の公式確認」と言う。当時は原因不明の奇病と呼ばれ、伝染するともいわれたため、被害者は沈黙し偏見や差別と貧困に耐えなければならなかった。

国は被害防止よりも工場生産を優先し、新日本窒素肥料株式会社(現チッソ株式会社)は原因が工場排水にあると知りながら生産を続けた。水俣病公式確認の9年後、新潟県阿賀野川流域でも有機水銀中毒が起こる。新潟水俣病である。不知火海で水俣病を起こしたのと同じ製造工程を持つ昭和電工鹿瀬工場の排水が原因だった。川本氏は、原因を知りつつ操業を続けた企業と、行政の無策が生み出した傷害殺人事件と糾弾した。

「水俣病」は「病気」ではない。チッソという会社の「傷害事件」だ。国や企業が「救済」というのもおかしい。傷害事件に対する「償い」でなければならない。そう言い続け、沈黙を続ける被害者に声を上げるよう働きかけた。そして、東京でチッソの社長を相手に直接交渉を行う。ときに、鋭い論理でたたみかけ、ときには一人の人間と人間として相対しながら語りかけた。水俣に残された家族は川本氏の闘いを支えた。地域で中傷の言葉を浴びせられ、家に火をつけられたこともあったが、あらゆる迫害に耐えた。子どもたちは牛乳配達で家計を助け、貧困もいとわなかった。

理詰めの言動、激しい行動で知られる川本氏だが、今回、土本監督の映像資料とご家族の言葉からその背景を知った。ご家族が持参した1冊の六法全書はおびただしい付箋紙が貼り付けられていた。法律を武器に訴訟を闘い、行政不服申請を重ねたことが裏付けられる。一方、海で泳ぎを教えた父親の思い出を語る愛一郎氏の言葉から、心優しい人柄が感じられる。闘いの激しさは、企業や行政への怒りだけでなく、被害者に向ける優しさから発せられたのだろう。

闘いの戦陣を駆け続けたが、その激しさ・厳しさから理解されないこともあった。皇族への誓願をめぐり、対立したエピソードを盟友、高倉史郎氏が語ってくださった。川本輝夫氏は、水俣病事件の井戸を掘り続け、生涯を閉じた。井戸を掘る人の孤独や辛さも味わいつくしたことだろう。没後10年。「ゆっくりお休みください」と心から声をおかけしたくなった。

■旗野秀人氏  ~“いい加減”を貫く多面体~
若い頃、家業の大工を継ぐのが嫌で、放浪の旅に出る癖があった。沖縄に行く途中、東京で座り込みをしていた川本輝夫氏と出会い、新潟水俣病にのめり込むきっかけとなったことから、旗野氏は今でも川本氏を師とあおぐ。

旗野氏は自らを変化球投手と呼ぶ。本業は工務店だが「阿賀に生きるファン倶楽部」や「冥土のみやげ企画」などを主宰し、新潟水俣病被害者の支援を行う。「支援」などと簡単に書いてしまったが、「旗野さんがやっていることは被害者の支援活動ですよね?」と正面から質問すれば「支援という言葉では表せない」という答えが返ってくるのではないだろうか。しかし、誰かがどこかの席で「水俣病支援団体の旗野さん」と紹介しても、にこにことしているに違いない。そして、酒が1升を越えたころ「あんたは、わかってない」と説教が始まる気がする。それは、彼のおおらかさであり、“いい加減”さである。これだけこんがらがった水俣病問題は速球のストレートだけで勝負できない。良い意味での“いい加減”さが必要なのである。「支援」と言えばわかりやすい。しかし、その活動の本質をつかんだ言葉ではない。本質をつかもうとしても「直球型表現」ではとらえきれない。だから、このブログでは「支援」でごまかす。川本さんは「救済」も嫌った。「水俣病」は病気でなく「傷害事件事件」だとも言った。そのラディカルさは、ストレートの剛速球を投げ込む本格派投手そのものである。

50年余が過ぎた今も、典型的な症状を持たないために水俣病と認定されない被害者は数知れず、未だに国や県を相手に闘い、認定を求めて続けなければならない。2004年には、最高裁判所が「国と県が被害の拡大を防がなかったのは著しく合理性を欠き違法」として、国と県に賠償を命じたが、被害者の苦しみは続き、償いがなされないまま、高齢化した人が亡くなっている。自民・公明の与党プロジェクトチームが最終解決を目指して提出した法案は被害者団体からノーをつきつけられ、未だに出口が見えない。

このような中、旗野氏は工務店と水俣病支援のどっちが本業かわからないぐらいの忙しさで走り回っている。もちろん、水俣病支援は金にならない。たまるのは請求書と領収書ばかりだとぼやきつつ、「好きなことをやっていると思えばこんな面白いことはない。やれることはいくらでもある」と言う。

被害者の支援は「面白い」と言い切った旗野さんは「冥土のみやげ企画」という団体も主宰する。例えば、未認定患者の渡辺参治さんは、歌ってさえいれば、病気の苦しみも和らぐというぐらいに歌が好きだ。旗野さんは米寿の記念に新潟のスタジオを借りてCDを作って、それを売った。ジャケットの写真はかっこ良く、ライナーノーツも素敵だ。渡辺さんは「いい冥土のみやげになった」と満足する。患者・被害者は病気や行政を相手にした闘いに苦しんでいる。しかし、苦しみの日々だけでは救いが無い。「水俣病に罹ってひどい目にあったが、悪いことばかりじゃなかった」、心からそう思える時間を少しでも増やすため、いろいろなことを考える。傑作ドキュメンタリーと評価の高い映画『阿賀に生きる』も旗野さんがいなければ生まれなかった。

患者・被害者の生活の質を高めるような支援活動は、ボランティアが最も得意とする分野に違いない。一人ひとりの暮らしに寄り添いながら、その人が一番輝いて見える舞台を作り、光をあてていく。金にはなりにくいが、やりがいのある仕事に違いない。「面白くてたまらない」という言葉もあながち誇張ではないだろう。

変化球を武器に、いろいろな方向から水俣病問題に切り込む。それが、旗野氏の運動のスタイルだ。来年の5月、阿賀の追悼集会のテーマは旗野秀人氏の還暦祝いだそうだ。全国から大勢の人が集まるに違いない。

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奥阿賀へ

2009年5月4日。朝晴れていた空は次第に暗くなり、天気が心配になるが、あまり気にせず、阿賀野川を遡ることにした。

阿賀野川は遡っても遡っても大河の風格を失わない。その昔は舟運や川漁で栄えたというが、今は観光舟が当時の面影をかすかに伝えているだけだ。さらに、河を遡ると鹿瀬の駅に着く。昭和電工の最盛期には大きな駅だったのだろうが、今は無人で、ときどき2両連結のディーゼル車が通るくらいだ。

Dscn0420 今はもう、昭和電工はこの地から去り、地域経済を支えた企業が撤退した地は過疎化が進む。損害賠償の他にも、昭和電工が果たしうる役割はあるに違いない。しかし、新潟での「もやい直し」の中に、昭和電工の存在感はあまりに薄いように思える。

Dscn0434 鹿瀬駅のすぐ上流に大きな発電所を持つダムがある。豊富な水を電源として利用し、電気化学工業を興したのが水俣のチッソであり、新潟の昭和電工であった。化学工業の主力が、石油化学工業に代わるまで水俣病の被害は封殺されていたのだ。その陰で、多くの人が苦しみ、死んでいった。地域の絆をとりもどすことは、いまだに容易ではない。

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2009年追悼集会「阿賀の岸辺にて」

●2009年5月4日
●新潟県新潟市(旧安田町)

半年前の記録を今頃出すので気が引けるとは思いつつ。最近、水俣のことを書きたくなるようなできごとが続いたので、今年の5月のことを書きます。

「阿賀に生きるファン倶楽部」が毎年、5月の連休に新潟水俣病の追悼集会を行っている。2009年は、5月3日の前夜祭に始まり、5日の現地見学会に至る3日の日程。

メインの4日は、新潟県内はもちろん、東京、京都、熊本、大阪、茨城、栃木などなど全国から100人ぐらいの人が集まっての催し。

映画『阿賀に生きる』の上映、そして、水俣病事件に命をかけて闘った川本輝夫氏の没後10年を記念して、水俣の実相を活写し続けた映画監督・土本さんの未公開フィルムも加えて編集した映像集『回想・川本輝夫 ミナマター井戸を掘った人』を見ることができました。奥さんの土本基子さんもいらっしゃって、映像にかけた土本さんの思いをとつとつと、しかし明晰に語っていただきました。水俣病を「傷害事件」として告発し、被害者を掘り起こし、後生まで伝えるための活動をエネルギッシュに闘った川本さんを「井戸を掘った人」というキーワードで伝えていました。

Dscn0332_2 >次のプログラムは、水俣からお招きした川本さんの奥さんと長男の愛一郎さんのお話をお聞きできました。水俣病の語り部として、各地でお話しする機会は多い2人ですが、今回はこの行事のプロデューサーである旗野さんの司会で、川本さんと家族との絆を浮き彫りにすることから「闘士・川本輝夫さん」の素顔が伝わり、激しい闘いの源に優しさや人間味があると実感できました。合掌。

Dscn0354

プログラムの最後を飾るのは、恒例の演芸大会。金子真由さんが三味線でごぜ歌を聴かせれば、渡辺参治さんがバックダンサーを従えて、良い声で民謡を歌ってくれる。そして、大阪からかけつけた「大阪網かけ一座」が相撲甚句でエールを贈るという趣向。水俣のほっとはうすからいらっしゃった長井さんも楽しんでいました。これで、一幕の終了ですが、本番はこれから。一行は咲花温泉柳水園に移動すると、大交流会の幕開け。

Dscn0387 大阪の一座が「前座」をつとめると、渡辺参治さんが続き、土本基子さんまでもが自慢の喉を聴かせてくださった。飲み、歌い、語り、最後の一人が布団に入ったのは午前5時だったそうです。

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埼玉大学の学生が水俣を伝える

Simgp0546 ●私たちが見た水俣を等身大で表現する
●日時:2009年3月31日18:30~
●場所:浦和PARCO 9階コムナーレ 第15集会室
●主催:埼玉大学教育学部コラボレーション教育専修・水俣合宿2008

3月21日午後、埼玉大学の学生からメールが届いた。3月31日に、合宿で学んだ水俣の姿をたくさんの人に伝える会を開くので参加して欲しい、という趣旨だ。よりによって年度末、しかも10日前というのは突然だなあ、と文句を言う資格は、私には絶対にない。昨年年の7月、私の職場で「学生が伝える水俣」という企画を立てたときに、彼らに出演を依頼した。期末試験が終わったか終わらないか微妙な7月末。しかも、開催日の1週間前に突然のお願い。断られるのが当たり前の状況にもかかわらず、二つ返事で引き受けてくれたうえにすばらしいプレゼンテーションを披露してくれた。今こそこの恩に報いなければ、と駆けつけた。

会場に入ってまずびっくり。多くても数十人規模だろうと予想していたが、150人くらいの人が集まっていた。大学の関係者が多かったのかもしれないが、水俣病を伝えるイベントでこれだけの人数を集めたのは立派。内容もすばらしかった。水俣の表現者は数多いが、新世代の表現者が登場した現場に立ち会えたことが、ほんとうにうれしかった。

去年も、歌、映像、語りを組み合わせたプレゼンが見事だったが、今回は、さらに動画の映像や、寸劇や朗読まで加わっている。表現の深みが増して、水俣の歴史・現在をわかりやすく伝えていた。私は、フォークソングが「プロテストソング」の時代に感化された世代なので、今でも、ああいうセンスの学生がいることに驚いた。埼玉大学の表現者たちも同じような感覚を持っていることがわかって、ほんとうにうれしくなった。

第4部は、この集まりのために、お招きした鹿児島県出水市から水俣病の患者さんと、お子さんの、お話。「水俣病被害者の救済及び水俣病問題の最終解決に関する特別措置法案」が国会に提出され、被害者とその支援者から猛烈な反発を受けた直後であるだけに、患者さんの話には熱がこもっていた。

このイベントにかかった費用は約20万円、資金調達も自分たちでやったという。プログラムの最後は、カンパの呼びかけだった。どこまでもあっぱれな学生の仕事だった。その夜は、若い水俣の表現者の成長を祝って乾杯する席に加わりたかったが、自宅まで遠いので、わずかばかりのカンパをして、その場を去ったのがかえすがえすも残念だった。できることなら、あの気持ちの良い学生たちと、水俣の現場で飲み交わしたいものだ、と帰りの電車の中でしみじみ思った。

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相思社-水俣の案内人

Fl0200032008年秋、取材のため、水俣を訪ねました。テーマは「食と食にかかわる人」。私にこのテーマを与えてくださったのは、御所浦(ごしょのうら)の方と相思社のHさんでしたので、3日間のうち1日は、相思社のスタッフに案内をしていただくことにしました。鹿児島空港から水俣に入って、まず相思社を訪問。

相思社はこれで3~4回目ですが、Hさんのお話をお聞きすると、そのたびに新たな、気づき・発見があります。今回も、関西訴訟以降の県や国の動き(水俣病認定業務が止まっていること、新たな補償の枠組みの難航などなど)をお聞きすることもできました。また、水俣病発生以前の水俣のお話しや、チッソという会社の知らなかった一面もお聞きできました。知れば知るほど、水俣は病みつきになります。「では、おまえは、水俣の何がわかるのか? 水俣とどうかかわるのか?」と問われると返答に詰まってしまうのですが、「見ることと自分なりの方法で伝えること」が今できる精一杯のこと、言うしかないのでしょう。

もっと、もっと自分にできることを増やして行きたいし、深く関わることができれば、とも思いますが、こうやって「いいかげんなつきあいかた」をしている自分をさらけ出すことも意味があるのではないか、とも思います。

わずか1時間半ほどの滞在で、とても密度の高い時間を過ごした気がします。いつもながら、水俣は「濃い」です。

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千葉県松戸市囲い山の森で里山ボランティア

Kakoinomorijpg2008年6~7月、千葉県松戸市の公民館から市民対象の環境講座の講師を頼まれました。6回連続の4回目と5回目。川崎市から松戸は遠いように思えますが、新百合ヶ丘から小田急線~地下鉄(千代田線)~常磐線直通の電車があり、乗り換え無し。引き受けることにしました。

送られてきた講座のプログラムを見てびっくり。講師の中に高校時代の同級生Tの名前があったのです。松戸市で環境関係のボランティア活動にのめり込んでいることは知っていましたが、新潟の片田舎の高校を出てから30年以上になって、同じ講座の講師をするはめになるとは、お釈迦様でも知らぬ仏のお富さん。

早速、Tにメールしてプログラムの相談。ワークショップをすることになっていたのですが、あまりに的確な助言をもらって二度びっくり。ありとあらゆる面でツボをはずしていない。的確なコメントが返ってくるのです。

興味を持って、本来なら講師を頼まれていない、彼が講師をする回のときは一参加者としてボランティア参加しました。場所は「囲い山の森」といって、宅地化の激しい松戸市の中で緑が良く残っている所です。ここで、里山ボランティアの活動紹介聴き、作業の体験。草刈りや木の間伐。短い時間でしたが、久しぶりに良い汗をかきました。その後、松戸駅の近くでおいしいソバ屋に連れて行ってもらいました。不思議なふしぎな「縁」を感じた1日でした。

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アダプト・プログラム

Adapt_2 堺市を歩くと、こんな看板を目にします。

上:「この道は私たちがきれいにしています」と書いてあります。
中:団体の名前
下:堺市まち美化促進プログラム

「アダプトプログラム」と言われている仕組みで、公園、駅前、道路など公共の場所を、地域住民や企業が掃除や手入れをすることです。昔ならどこの地域でも当たり前に行われていたことですが、アダプトプログラムは行政と合意書を結ぶところがミソです。行政は、掃除道具の貸し出しや看板で団体の名前を知らせることで、物心両面から住民の活動をサポートします。

「アダプト」は「養子縁組み」を意味する英語。もともとアメリカが発祥の地なのだそうです。住民と役所がそれぞれの役割を分担しつつ、公共の場の維持管理をすることで「パートナーシップ」の一形態と言われています。今では、堺市の他でも全国で300件を超える自治体がその仕組みを持っているそうです。単純に割り算をすると、1割以上の自治体がプログラムを実施していることになります。

その昔、道普請や用水路の維持・管理は住民が共同で実施していました。地域コミュニティの共同財産だからでしょうね。時代の変化とともに、変な「お上意識=公共のものは役所が管理するもの」とか、変な「納税者意識=税金を払っているんだから道路掃除は役所がやるのが当たり前」がはびこり始めます。

「住民は、働いて、働いて、働いて税金を納めれば、公のモノは役所が面倒を見てくれる。だから、カネにならない仕事は止めて、ひたすら稼ぎなさい」との論理が高度経済成長を支える「エコノミック・アニマル」を育て、同時に地域社会への関心の低い人を大量に生み出したのです。アダプトプログラムは、地域の公共財を地域コミュニティに返そうとする動きであって「自治」を育てるという意味において「パートナーシップ」事業なのだと思っています。

ただ、どうしても気になるのは「掃除や美化活動はまかせても、管理・運営計画の立案などは形だけの“参加”ですませよう」とする力学が働きやすいことです。“住民自治”を育てることには貢献せず、役所=お上の言うままに動く「都合の良い住民」を純粋培養する危険がありはしないか? ということです。杞憂であれば良いのですが。

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バークレーの「食育菜園」講演会

Cook カリフォルニア州バークレー マーティン・ルーサー・キングJr.中学校
食育菜園「エディブル・スクールヤード(食べられる校庭)」の挑戦

という講演会が大阪の堺市で開催されたので行って来ました。堺市とバークレー市が姉妹都市になって40周年になるのを記念した行事とのこと。2008年2月28日です。

日本でも、サツマイモの畑や田んぼを校庭に作る学校は多いと思いますが、この学校の事例は、とてもそんなものじゃない。わざわざ日本まで来てもらうだけのことはあります。今回の講演会は、ほぼ半日にわたって、現場の教師たちのお話をお聞きする貴重な機会でした。3人の講師が入れ替わりながら、畑のことや授業のことを具体的に話してくださいます。歴史では、畑で古代の人が作った穀類を栽培したり、昔の農機具の模型をつくったりします。数学では、なんと、堆肥の中にいるミミズを統計的な調査で調べる授業。国語では、食べ物についての物語を話すことなどもやっています。エスター・クックさんは調理の先生(Cookさんが調理をする、と言って聴衆を笑わせていました)。調理や、フードメモリーというプログラムを実演してくださいました。

この学校では、ほとんど全ての授業が、畑と調理、食べることと結びついているのです。畑を通じて地域コミュニティとのつながりも生まれました。すごいなあ、と聴いていました。成功のカギは、やり遂げる情熱と多様な能力を持った人の協力関係を築いたことだと強く感じました。

もう一つ感動したのは、この学校が日本の「モデル校」のように、優等生の集団ではなかったことです。日本では「問題校」と呼ばれるような荒れた学校でした。むしろ、そんな学校だからこそ、これだけ大きな変化が必要だったのかもしれません。それにしても、つくづくと思うのは、農と食は人と地域を育てる原動力ですね。

畑を使って、食と農からありとあらゆる学習につなげようとする人たちの努力は並大抵のものではないと思いましたが、「社会的公正」の視点がちょっと弱いと感じました。グローバル化がもたらす「南北」問題による貧困や飢餓、「国内での格差問題」、「食料の安全保障の問題」、「食の安全の問題」などのテーマがちょっと弱いのではないかいう感想です。

Mscook

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コミュニティ・ビジネス

頭が悪いくせに、自分で理解できる理屈でないと納得しないという、悪い性格が災いして、流行している「コミュニィ・ビジネス」なるものがどうしても理解できませんでした。なぜ理解できないかという理由もわからないのだから情けない話ですhappy02

それなのに、2008年3月6日に職場で開催されたワークショップで、コミュニティ・ビジネスの議論のグループワークを先導させられて大いに困りましたが、ゲストの細内氏や参加者に助けられ、とても面白い話を聴かせていただきました。自分としては胸のつかえが下りる思いでしたが、参加者とゲストの方にはフラストレーションだったかもしれません。ごめんなさい、と謝るしかありません。

Sosial_2 今から考えると、コミュニティ・ビジネス(CB)がわからなかったのは「心の結びつき」であるコミュニティと「利益で結びつく」ビジネスがいきなりくっついてしまうことの違和感だったのかもしれません。『社会学入門』(見田宗介,1996,岩波新書)に左のような図があります。横軸は、右が限定された利害や関心による結びつき。いわゆる「ゲゼルシャフト」を表します。左が「人格的な結びつき」、いわゆる「ゲマインシャフト」です。上方が「意志」によって結びつく関係で、下方が「意志以前」に生まれてしまう関係を表します。家族や地域社会は左下で、ビジネスは右上。対極にある2つがいきなりくっついてしまうことの当惑があったのだ、と今回気づきました。

参加者の一人、K氏がCBを「コミュニティの、コミュニティによる、コミュニティのためのビジネス」と表現してくださいました。また、細内氏は「顔と顔の見える関係づくり」が基盤であり、CBによってその関係が強化されることが重要」との示唆をしてくださいました。

もともと、家族にしろ、地域社会にしろ「利害関係」はあったのです。人格的な結びつきだけではなく、生業や「遊び仕事(マイナー・サブシステンス)」によって関係が生まれ、強化されて来たものでしょう。ところが、地域経済の衰退によって家族や地域社会の結束も弱くなってしまった、ということでしょう。もともと、コミュニティを支える基層の中には、ゲゼルシャフト的な要素があった、とも言えるわけです。衰退しつつあるコミュニティの絆を再生するには、ビジネスの有効性もある、ということかと思います。より「生業」に近いものを目指すのか「マイナー・サブシステンス(遊び仕事)」を目指すのかによって、収益の考え方が変わってきます。ただし「もうかれば良い」というのでは、CBとは言えないでしょう。もうかった結果、地域の中で人と人、人と地域のつながりが強化されるのでなければなりません。

と、ここまではようやく納得したのですが、具体の事例を考えるとわからなくなることだらけですので、まだ当分悩み続けることでしょう(笑)。

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水俣病セミナー@東京

2008年3月1日(土)午後、東京駅前で環境省主催の「水俣病セミナー」がありました。最近、私も水俣をはじめ、公害によって病んだ地域の再生に取り組む活動に学び、伝えることが重要と思い、仕事として何かできないか模索しているところでしたので、短い時間ながら活動を発表する機会をいただきました。

1956年に水俣病が公式に確認されて、50年以上たちましたが、解決していないばかりか、むしろ難しい問題が立ち現れています。

被害者の認定と補償問題が、未決着です。そして、高齢化する被害者の暮らしが大きな問題です。胎児性の患者さんも50歳を越えています。親御さんが亡くなり、生活を支えてくださる方が少なくなるのに加えて、病状が悪化したり、障害がさらに重くなることもあります。水俣市の「ほっとはうす」では、水俣病の患者さんを含む障害者が生活する拠点を作りつつありますが、資金に苦労しています。

3つめの問題は、事件を風化させることなく、教訓に学び、将来にわたって伝え続けることです。もちろん、水俣病をはじめとした公害は「近代の病」とでも言うべき深みのある事件であって、そう簡単に「教訓」とか「学びの継承」と言って欲しくない、という意見があることも重々承知しています。けれども、公害を起こすことは未来の世代に大きな負債を残す結果になることや、一度断ち切られた地域の中での「人と人」「人と自然」の関係を修復することの大変さを伝えることはできると思います。公害の苦難と再生の努力・叡智・営為を知り、受け継いで行かなければ、被害者の方々は死んでも死にきれない思いをされることでしょう。

3月1日は、奇しくも水俣病に侵されながら地域再生に尽力され、私たちに力と感動を与え続けてくださった杉本栄子さんの葬儀の日でした。大きな喪失感を背負ったセミナーの場を明るくしてくれたのは、新潟県新発田市の4人の小学生です。水俣病の被害者や支援者との交流を通じて、水俣病問題を学び、公害問題、偏見と差別などなど、とても広くて深い学習ができた様子が良くわかりました。そして、何よりその立ち居振る舞いの軽やかさ。変な気負いも無く、のびのびと話す様子は見ていてすがすがしい気持ちになりました。このような子どもたちを育てた教員の方の尽力はいかばかりだったでしょう。敬服しました。

セミナーの後は、被害者の方々、行政の方々、支援者の方々とともに懇親会が開かれました。水俣病という重すぎる問題を抱えていますが、共に飲み、食べる場を設け、和らいだ雰囲気で語り合う中から、人と人とのつきあいが芽生えてくる、そんな場に立ち会うことができたのが一番の収穫かもしれません。

Kodomotati_2

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水俣の杉本栄子さんご逝去

夕方、メールをチェックしたら、水俣にある相思社から、杉本栄子さんの訃報が届いていました。水俣病であるというだけで差別され、苦しみながら、その経験を地域再生の力に変えることのできた希有な力を持った人でした。

葬儀は3月1日(土)とのこと。その日は奇しくも『水俣病セミナー』が東京で開催され、私も短い報告をします。不思議な因縁を感じざるを得ません。合掌。

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農水省の広告記事

朝日新聞の1面を全部使って農水省が広告を出していた。

「和の食材だから日本産、というのはほぼ思いこみです」というキャッチコピーに、和食の献立の写真。刺身、納豆、みそ汁....それらの食材に国旗が立っている。みそ汁は、豆腐と油揚げの具は原料は大豆、味噌も大豆がかなりの重量を占めているので、アメリカの国旗。

日本の食料自給率の低下をわかりやすく表現し「何とかしたい」と思ってもらおうという意図なのだが、自給率を下げてきたのは、第一次産業を軽視し続けてきた日本の政策の結果であって、この記事だけでは弱いような気がする。とは言え、現状を知らないことには、議論も起きないだろうから、気づきを促す効果はあるはずだから、この記事で得た国民の気づきを深め、行動の変化(国産品を食べる・作るのを手伝うなど)に結びつけ、政策提言するような市民運動を起こす必要がある。それが、いわゆる「パートナーシップ」というものだろう。さて、自分には何ができるだろうか、と考えるきっかけにはなった。

Shimbun

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“協働の資金”調達手法ワークショップ

2008年2月20日に、職場で「協働型資金調達手法」をテーマにしたワークショップがあり、ファシリテーターをやりました。行政や企業にまかせっきりでは、世の中おかしくなるばかり。そこで、NPOとか、コミュニティ・ビジネスとか言われる「第3のセクター(日本で言う“第3セクター”とは違います)」がもっと伸びていかねばらない、と言われています。法令や政府の事業として、こういった動きを助長する基盤整備やモデル事業が行われていますが、悩みの種は、やっぱり“お金”。

NPOはNon Profit Organization、または、Not for Profit Organizationの略ですが、New Poor Organizationと呼ぶ人もいるくらいで....私です(笑)、いつもお金で悩んでいます。今回のワークショップは、世直しのために、お金の流れを変えなければならない、というのがテーマ。

今の社会で、大きなお金の流れ道は、国が税金として徴収して再配分する“中央集権型” 、そして、預金や保険掛け金などで銀行や保険会社が資金を集めて、投融資する「間接型」です。私たちは、銀行に預けたお金が、どこでどう使われているかは全く把握できないのが普通です。もしかすると、私の意に反して、環境破壊型のマンション建設とか、先住民族の暮らしを圧迫するウラン鉱山会社にお金が流れているかもしれないのです。

そして、私たちが暮らす地域社会を潤すような資金に使えるお金が流れない。地域でお金がまわらないから、地域の経済はますます疲弊する、という悪循環を断ち切るために「地産地消型のお金の循環」とか「志のある人の思いが届く直接金融」の試みが始まっています。

今回のワークショップは、主に「地域金融システム」「市民投資ファンド」「市民出資PFI」の3つの資金に焦点をあて、坂本忠弘さん(地域共創ネットワーク(株))、鈴木亨さん(北海道グリーンファンド)、中澤幸介さん(新建新聞社 まちづくり編集部)の3人をゲストにお迎えし、それぞれの現状、特徴をお話いただいた後、20人の参加者が、3つの資金調達方法の「有効性」「利用するための条件」「成功のポイント」の3つの観点から議論をしました。(下の表に整理しました)。

短い時間でしたが、いろんなコメントやアイデアが出てきました。ワークショップの成果は、いずれガイドブックのような形でまとまります。

私自身は、市民活動の無償制・非営利性にひかれて、この世界に飛び込んで来ました。投資や出資という仕組みについては全く成果を評価する能力を持たないので、大変に申し訳ないのですが、新しいビジネスの形が生まれようとしているのであれば、それはそれで良いのかもしれません。

Shikinws_2

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フェアトレードショップ:パッチ・ワーク

Patchwork01 職場の隣に東京ウィメンズプラザという都の施設があります。たまに、会議室などを使わせていただきますがが、一番利用しているのは「ウィメンズショップ パッチワーク」というお店。女性が共同出資でつくり、共同で運営しています。扱っている商品は、途上国の環境と生産者の生活を大事にしたフェア・トレードの衣類やチョコレート。有機栽培のコーヒー豆、安全な食材でつくったお弁当など、環境・安全・国際協力などのコンセプトのものが並んでいます。

中でもお気に入りの商品は「カレーの壺(野菜)」。スパイスの利いた本格的なカレーが簡単につくれます。スリランカ製。

このお店で食べるカレーやコーヒーもおいしいです。近くにおいでの時はぜひお立ち寄りください。

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水俣で買った再生コップ

水俣市には、環境をテーマにした産業振興に取り組んでいる人がたくさんいます。野菜、果物、魚だけでなく、工業製品もあります。

このコップは、ワインボトルを再生利用したものです。砕いてカレットにするのでなく、ボトルを切って、底の方を使ってグラスにしているのですが、こういうのって何と言うのでしょう? 「リサイクル」は砕いて何かの原料にするイメージが強いし、「リユース」だとビンのまま再利用するので、ちょっと違います。「リサイクル」と「リユース」の間くらいのイメージですよね。

色合、大きさ、手触りも気に入って、もっぱら日本酒を飲むときに愛用しています。ワインボトルの再生品で日本酒を飲むというのもオツなものです。

黒っぽい方のグラスは、縁の曲線がちょっとゆがんでいて、それが何とも言えない味わいを出しています。京都の楽茶わんを思わせる、と言ったらほめすぎでしょうか。工業製品なのに、手作りの感じがあるところにひかれるのです。

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市民が耕す舞岡公園(横浜市)

1月26日(土)は横浜市戸塚区にある舞岡公園で会議。広い公園の一角に田んぼや畑、炭焼き窯、古民家などがあり、その場の管理・運営を市民でやっている。正式名称は「舞岡公園田園・小谷戸の里管理運営委員会」というが、堅苦しいので愛称を「やとひと未来」とつけている。私は、その団体の評議員という役目をおおせつかっているが、年に2回ぐらい会議に出て、言いたい放題を言っているだけのような気がして、大変に申し訳ない気分。どれだけ役にたっているのかとても心許ない。会議のための準備も楽ではあるまいに、とは思いつつお呼びがかかる限りは、出かけようかと思っている。無報酬だが、毎年暮れにいただく、公園の田んぼで採れた餅米の鏡餅が楽しみだという理由もある(笑)。

「やとひと未来」は、今年度から、横浜市から指定管理者になった。今までは、運営の業務委託だったので、どこが、どう変わったかが気になる。施設管理や安全管理など管理業務が増えて、本来この団体が得意とする多様な市民が参加する伝統的な谷戸の文化と自然環境の保全がおろそかになっていないか、事業報告を聴くまでは、ちょっと不安ではあったが、説明をお聞きする限り、今のところ大丈夫そうなので安心した。行事も充実してきているし、活動の担い手となる若い世代も生まれつつあるという。それはほんとうに良いことだと、事務局の方々とともに喜んだ。若い世代が中心となって運営するNPO法人化の検討も始めつつある、との報告もあった。今は、任意団体のままで指定管理者となっているが、法人化することで、協定の改定などが必要になるかもしれない。また、法人が専従の職員を置くなら、雇用の問題、賃金確保の問題など新たな荷物を背負い込むことにもなるだろう。逆に言えば、今まではそういった問題を「ボランティア」的な労働が支えてきたことを改めて強く思う。この活動が持続・発展するためにどのような組織の形、人の働き方がふさわしいのだろう。

横浜市から、指定管理者としての評価を受けた旨の報告もあった。評価項目の説明も受けたが、事業の成果よりも適切な管理がなされているかどうかを観る項目が多い。指定管理者としての評価である以上仕方がないのかもしれないが、ここのような施設では、コミュニティの成長にどれだけ貢献したか、あるいは谷戸の文化や自然の保全がどれだけできたかに重きを置いた評価でなければならないだろうと思うのだが、そういった項目の評価は簡単にはできない。横浜市の担当職員と市民団体とが共に汗水流しながらの「協働」がなければ、表面的な管理状況や来訪者数で判断してしまうことになる。より本質に迫る評価方法・評価基準をどう作るか? これは、私が今かかえている大きな宿題の一つだ。

もろもろの難しい問題は山積しているが、舞岡の風景と活動はすてきだ。だからこそ、しんどい思いをしつつも、この場を楽しみ、活動を続ける人たちがいるのだろう。

■写真1:公園の中の田んぼ。とても横浜市内とは思えない。

■写真2:市内の古民家を移設したものという。隣には物置もあり、公園の活動の拠点ともなる。

■写真3:古民家の隣の小屋でわら縄を編むボランティア。縄は公園の中の野良仕事に欠かせない。

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■写真4:池で食べ物を探すシラサギ(コサギ)。足先を動かし、獲物を探す。見ていたら、カエルが1匹食べられました。

■写真5:望遠鏡や超望遠レンズをつけたカメラを持った人が来ている。聴いてみたらキツツキの一種の「アリスイ」がいるとのこと。残念ながら、私がいたときは観られなかった。

■写真6:雑木林管理活動に炭焼きがまは必須のアイテム。舞岡のカマでは一度に200キロの炭を焼くことができるという。

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土井たか子さんと、護憲・人権を語る

2008年1月23日、水俣フォーラムが主催する講演会を聴きに行きました。水俣フォーラムは、水俣病事件を伝え続ける活動をしているNPO法人で、展示やセミナーを開催しています。私も、ときどきボランティアでお手伝いをさせていただいたり、展示やセミナーに参加させていただいています。

月例セミナーの1月講師は土井たか子さん。今は政界を引退されていますが、社会党委員長、衆議院議長の経歴を持ち、今も反戦・護憲を訴え続ける信念の政治家です。水俣病の問題に対してどのようなお話をするか興味がありました。講演は質疑を含めて、約2時間。その後、主催者の方々を交えて、食事をしながらお話をさせていただく機会もいただきました。

土井さんのお話をお聞きし、また、お話しした中で思ったことを3つメモしておきます。

  1. 公害問題は基本的人権を保証する憲法に違反する行為であること
    水俣病の被害者は経済優先の政治・経済によって生存権、幸福追求の権利を不当に奪われた人たちであり、戦争の被害者、薬害と同じです。憲法第11条~第14条を、じっくりと読み直すべきだと思いました。
  2. 基本的人権は不断の努力によって維持されるものであること
    ところが現在、経済優先の政治が強まっています。一方、人権を求める市民の運動は、1960~70年代と比べ、熱が冷めてしまっています。憲法第12条には、基本的人権は、私たち一人ひとりの不断の努力によって維持される、と書かれています。基本的人権は「与えられて、そこにある」ものでなく、政治や経済に働きかけ、人権の尊重を求め続けなければならないのだと思いました。
  3. マスメディアをどう使うか?
    最近、C型肝炎薬害事件の救済策が与党から示され、解決への道筋ができました。どうして同じことが水俣病問題ではできなかったのでしょう? 土井さんは「わからない」と言いつつ「メディアの扱い方が違ったことは理由の一つ」とおっしゃいます。テレビが繰り返し被害者を同情的に放映したことの力があったのではないか、運動もメディアをもっと上手に使いこなすべきではないか、とおっしゃったのですが、その後で、そういうやり方が好きではないような意味のことを言っていたので、土井さんらしいな、と好感を持ちました。テレビが流す一方的で、短いフレーズで世論が大きく変わるような状況は好ましく無い、と私は思います。私もねばり強い対話や交渉ごとなどは得意ではないのですが、そのプロセスこそが民主主義なのだと思います。

土井さんとお話をしているとき、昨年読んだ『ポスト・デモクラシー 格差拡大の政策を生む政治構造』コリン・クラウチ著/青灯社(2007.3.30)を思い出しました。1970年台に高揚した民主主義が冷戦後衰退しており、これは世界各地で見られる現象である、というのです。この本の感想文は、またいずれ。

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市民が里山を維持している一本杉公園

もちつきをした古民家から道を下がると炭窯がありました。本格的な炭窯で、解説板を見ると、杉浦銀二氏の指導で築いたのだそうです。公園の雑木林を維持するために、コナラやクヌギを伐採し、伐った木は、かまどの薪や炭の材料になっているのでしょう。隣には、シイタケのほだ木もあり、収穫された跡がありました。

市民がこの公園を拠点としてボランティア活動をすることで、雑木林が維持され、昔ながらの里山の風景が守られているのだと思います。同じような考え方で生まれた公園には、横浜の舞岡公園があります。公園の中に古民家を移築し、利用しています。また、田んぼや畑の作付け、雑木林の管理作業など、規模は違っても、内容は似ています。運営体制はどうなっているのでしょうか、いろいろと知りたいことが増えてきます。また、来てみようと思いました。

Sumigama Hodagi Hatake02

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水俣の仏さま

水俣市の海岸に、水俣広域公園(愛称:エコパーク)がある。公園の下には151万トンもの有機水銀を含む汚泥が封じ込められているという。不知火海に浮かぶ小島、恋路島を望んで慰霊碑が建ち、碑のまわりに石仏が何十体と置いてある。

水俣病の患者さんや支援者が、水俣病の被害を受けた人を含む生類たちの鎮魂のために建てたものだと聞いた。その集まり(本願の会)には、緒方正人さんや石牟礼道子さんが加わっているという。

側面と後ろに俳句が彫ってある仏を見つけた。

 さくらさくらわがしらぬひはひかり凪

 いのるべき天と思えど天の病む

石牟礼道子さんの句集『天』に載っている句。もしかすると、石仏の作者も石牟礼さんかもしれない。

Hotoke Hotoke2

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水俣のお地蔵さま

かつてチッソ水俣工場が有機水銀を含む排水を大量に垂れ流した排水溝を見守るようにお地蔵様が立っている。このお地蔵さまは、新潟県阿賀野川の石に彫ったもの。はるばる新潟からやってきた。

水俣の石で彫ったお地蔵様は阿賀野川にたてられている。水俣病の犠牲者への鎮魂のため、2つの「水俣病」をつなぐ物語をつむぐ人たちがいるのだ。

Minamatajizou

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水俣の恵比寿さま

昨年に引き続き、水俣病関係の仕事が続いているので、現地を訪れる機会が多い。2007年1月から12月までに3回行った。会議とか打ち合わせが多いので、水俣の自然や文化を楽しむ機会が少ないのがとても残念。

茂道から月の浦の集落は1度だけ行った。水俣駅でレンタサイクルを借りて行った。アシスト付きだったが、坂道が多くて難儀した。昔ながらの漁村の雰囲気が残されている。漁の神様である恵比寿様をたくさん見ることができる。茂道の恵比寿様は、魚を抱えて笑っているのだが、見る角度によって泣いているようにも見えるのは、水俣病の多発地帯だったという先入観があるためだろうか。

右の恵比寿様は、高齢化したせいか傷んでいるが、漁師さんが大切にしてくれているからだろう。どこから見ても笑顔に見える。

水俣は、恵比寿様を見て歩くだけでも十分楽しめる。

Ebisu Ebisu2

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水俣の「ほっとはうす」建て替えを応援したい

Hottohause 12月22日の夜、東京の水道橋で水俣病支援者の集まりに参加してきました。雨の中、70人くらいの人がいたでしょうか。

水俣市内にある「ほっとはうす」は、障害者が集う小さな家。障害を持つ人が働き、地域と交流する施設となっています。1998年に小さな喫茶店からスタート。音楽会など各種イベント、食べ物の出前、ポプリづくり、押し花をあしらったすてきな名刺づくりなどなど、たくさんの仕事があります。胎児性の水俣病患者さんも、その他の原因で障害者となった方も同じ場所で出会い、語り合い、仕事をしています。

経営は決して楽ではなかったと思いますが、自分たちの居場所を自分たちで作りたいとの思いを支えにして9年間やって来られたのでしょう。そして、今新しい施設の建設が動き出しました。胎児性水俣病の患者さんは50歳を越える人が増えています。場所は狭く、階段など障壁もたくさんあります。新しい施設は、宿泊もでき、作業場や交流の場が広くなります。県の補助はありますが、総事業費8500万円のうち3000万円は自分たちで工面しなければなりません。ほっとはうすでは、1年間で3000万円の資金を募金で集めようとしています。問い合わせは、ほっとはうす=0966(62)8080。

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